中華 料理 四海 樓——長崎港を臨む大楼閣の最上階から香ばしい炒め野菜と濃厚なスープの香りが立ち上る。2026年、西九州新幹線の定着や国際クルーズ船の寄港ラッシュで湧く長崎の街において、創業127年目を数えるこの伝説的レストランは、いま再び黄金期とも呼べる熱気に包まれている。
かつて明治時代、食うや食わずの清国留学生を救うために誕生した温かい一碗。長崎の異文化交流が生んだ中華 料理 四海 樓のちゃんぽんは、今や地元市民のみならず世界中の旅行者の胃袋と心を掴み続けている。
1899年創業:極貧の留学生を救った一碗の「支那うどん」
歴史は1899年(明治32年)に遡る。創業者である福建省出身の陳平順氏が長崎の地に開き、当初は「湯餅(トンピン)」や「支那うどん」と呼ばれていた料理が、現在のちゃんぽんの原型だ。
当時、日本に渡ってきた清国の留学生や労働者たちは困窮を極めていた。「安くて美味しく、栄養価の高いものを食べさせたい」という店主の親心から、近海で獲れる海鮮や地元の野菜、豚肉を豪快に盛り込み、濃厚な白湯スープで煮込んだ一品を考案した。名前の由来も、福建語の挨拶である「吃飯(チーファン=ご飯を食べましたか)」が訛ったものという説が有力だ。助け合いの精神から生まれた一杯が、のちに長崎を代表するソウルフードへと進化を遂げた。
2026年の現在地:国際クルーズ船と新幹線が生む「新たな黄金期」
2026年現在、四海樓を取り巻く環境は大きな進化を迎えている。店舗のすぐ目の前に位置する長崎港松が枝ふ頭には、世界各国から大型プレミアムクルーズ船が頻繁に入港。新幹線による九州エリアの回遊性向上も手伝い、平日・休日を問わず店内は多国籍な熱気に満ちあふれている。
朝の寄港時には欧米からの乗客、昼時には国内の旅行客や修学旅行生、夕方には地元ファミリーで席が埋まる。かつて留学生の空腹を満たした場所が、今や地球規模の異文化交流の最前線として機能しているのは極めて味わい深い。