弁当 たんぽぽというキーワードを前にして、スクリーンに溢れ出たあの異様な熱量を思い起こさない映画ファンはいないだろう。1985年の公開以来、食と人間模様をユーモラスかつ滑稽に、そして時に狂気すら孕んだ視点で切り取った異色作。それが伊丹十三が手掛けた名作だ。
劇場公開から40年以上が経過した現在でも、弁当 たんぽぽの文脈で語られる数々の名場面は色あせるどころか、世界中で新たなフォロワーを生み出し続けている。特に劇中に挿入される、老女がスーパーで商品を次々と指で押し潰すシーンや、重病の妻が最後に遺作として家族に振る舞う炒飯、そして静寂のなか広げられる弁当のエピソードに至るまで、食への執念がこれでもかと描かれた。
『タンポポ』の「弁当」シーンが映画史に刻んだ衝撃
映画『タンポポ』は、ラーメン屋の再建を目指す本筋の合間に、多種多様な「食」に纏わるオムニバス形式のエピソードが挿入される斬新な構造を持つ。その中でもとりわけ観客の記憶に強く刻まれているのが、マナー講座でのスパゲッティの食べ方や、静寂に包まれた映画館で広げられる「弁当」のエピソードだ。
静まり返る映画館の客席。カサカサと鳴る包み紙の音、たくあんを噛み砕くポリポリという激しい不協和音。映画鑑賞という行為と「食べる」という本能的欲望が衝突する滑稽さを、極めて洗練されたコメディ映画の手法で描き出した。音響設計の卓越性と、人間の業を笑いに昇華させる視点は、今見返しても全く古びていない。
伊丹十三監督が込めた食の美学と弁当シーンの深い演出
故・伊丹十三監督は、自身が極めて妥協を許さない美食家であり、エッセイストとしても類稀な観察眼を持っていた。彼がカメラを通じて表現したかったのは、単なる「美味しそうな料理」の映像化ではない。食卓の風景に滲み出る人間のエゴや愛おしさ、そして生と死のコントラストだった。
「弁当」という日本独自の小宇宙において、おかずの配置や食べる順番、さらには誰とどのように食べるかという所作に至るまで、細部へのこだわりは徹底していた。伊丹監督は、一見すると無雑作に見える弁当の描写にすら、緻密な計算と美学を注ぎ込んでいたのだ。カメラアングル一つとっても、食べ物が最も生々しく映える角度を探求し尽くしたという。