ビート きよしという男の存在を抜きにして、昭和から平成、そして令和へと受け継がれる日本のお笑い史を語ることはできない。伝説の漫才コンビ「ツービート」のツッコミとして、相方・ビートたけしの過激で尖りきった毒舌を「よしなさい」の一言と絶妙な間合いで受け止め、日本中を巻き込んだ空前の漫才ブームの頂点に立ったレジェンドだ。
狂騒の1980年代から長い年月が流れた今も、ビート きよしの発言や破天荒なエピソードは芸能界やWebメディアで大きな関心を集め続けている。テレビの第一線を少し離れたあとも、飄々とした独特の立ち振る舞いと突き抜けたユーモアセンスは健在だ。彼はいま何を思い、伝説の相方とどんな関係を築いているのか。
浅草フランス座での出会いと「ツービート」結成秘話
ツービートの原点は、東京・浅草の東洋劇場および「浅草フランス座」の楽屋裏にある。かつてストリップ劇場の合間に演じられるコントで修行を積んでいた時代、二人は出会った。破天荒な発想と圧倒的な天性を秘めていた北野武(ビートたけし)と、その才能を誰よりも早く間近で察知した兼子二郎(ビートきよし)。この二人が組んだことで、伝説のプレイスタイルが産声を上げる。
当時の漫才界は、丁寧な立ち振る舞いと吉本新喜劇や古典落語に由来する伝統的な掛け合いが主流だった。しかし、ツービートは違った。テンポは倍速、内容は毒と社会風刺に満ち、早口で畳みかける新時代の漫才スタイルを確立したのだ。浅草の泥臭い舞台裏で磨かれた度胸と、二人の奇跡的な相乗効果こそが、後の大ブレイクを引き寄せる決定的な打鍵となった。
「オレたちひょうきん族」狂騒曲と驚愕の最高月収
1980年代初頭、空前の漫才ブームが日本列島を直撃する。フジテレビ系の怪物番組『オレたちひょうきん族』をはじめ、主要局のゴールデンタイムはツービートを見ない日がないほどの過密スケジュールに埋め尽くされた。「よしなさい」「よしなさいってば」というシンプルなフレーズ一つで爆笑をかっさらうスタイルは、お茶の間の定番となった。
その凄まじい人気の過熱ぶりを物語るのが、噂に拍車がかかる当時のギャラ事情だ。後年の回想インタビューや配信番組で本人が明かした最高月収は、まさに桁外れだった。ブームのピーク時には、給料袋が紙袋のように分厚く、月収にして数千万円規模(推定5,000万円以上)に達していたという。当時は手渡しの現金支給も多く、札束の重みでカバンが変形したという都市伝説のようなエピソードは、今なお語り継がれる昭和芸能界の黄金伝説だ。