ロサンゼルス・ドジャースの青いユニフォームをまとい、メジャーリーグの歴史を塗り替え続ける大谷翔平選手。その背中に刻まれた「17」は、いまや世界中の野球ファンにとって唯一無二のスーパースターを象徴する代名詞となりました。しかし、彼がこれまでのキャリアで背負ってきた番号の軌跡を振り返ると、そこには単なる数字の選択にとどまらない、恩師や先輩への敬意、チームメイトへの配慮、そして野球への純粋な哲学が色濃く反映されています。
日本ハム時代の「11番」や侍ジャパンで見せた「16番」、そしてエンゼルスからドジャースへと引き継がれた「17番」の由来とは何だったのか。本稿では、現地記者の取材記録や公式会見での本人の肉声、同僚選手との心温まる舞台裏を徹底検証し、背番号をめぐる壮大なストーリーを紐解きます。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】- 要点1:背番号17は花巻東高校の1年夏に背負った「原点」であり、エンゼルス入団時の空き番号から運命的に選ばれた番号である。
- 要点2:ドジャース移籍時は前着用者ジョー・ケリー投手夫妻の熱烈な歓迎に応え、新車ポルシェを贈る粋な計らいで大きな話題を呼んだ。
- 要点3:日本ハムの11番(ダルビッシュ有の系譜)やWBCの16番(野茂英雄への敬意)など、大谷の背番号遍歴には常に先人への深い敬意が宿っている。
【歴代の変遷】花巻東からドジャースまで|大谷翔平が背負ったナンバーの系譜
大谷翔平選手の背番号の変遷を辿ると、各ステージにおいて明確な転換点が存在していることが分かります。高校時代から現在に至るまで、彼が身につけてきた番号にはそれぞれ固有の背景が存在します。
岩手・花巻東高校に入学した当時、大谷選手に最初に与えられたのは「背番号17」でした。1年生の夏、甲子園を目指すベンチ入りメンバーとして背負ったこの番号こそが、彼の本格的な全国キャリアの幕開けとなります。2年時にはエースナンバーである「1番」を背負ったものの、骨端線損傷という成長期特有の怪我に見舞われ、3年夏の岩手大会では「11番」をつけてマウンドに立ちました。この高校3年間における栄光と苦折の経験が、後のキャリアに大きな影響を与えることになります。
2012年のドラフト会議を経て北海道日本ハムファイターズに入団した際、球団から提示されたのは「背番号11」でした。これは直前までエースとして君臨し、メジャーへ羽ばたいたダルビッシュ有投手が背負っていた特別なナンバーです。球団首脳陣および栗山英樹監督は、「二刀流」という前人未到の挑戦に挑む大谷選手に対し、球団のエースの魂を受け継ぎ、世界基準の選手へと成長してほしいという最大の期待を込めてこの番号を託しました。
そして2018年、MLBロサンゼルス・エンゼルスへの移籍に際して選んだのが「背番号17」です。さらに2026年オフに北米プロスポーツ史上最高額となる10年総額7億ドルでロサンゼルス・ドジャースへ移籍した際も、この17番を継続して着用することになりました。
なぜ「17番」なのか?大谷翔平の背番号に込められた意味と選択の真相
世界中で最も有名な背番号の一つとなった「17」ですが、エンゼルス入団当初、この番号を選んだ直接のきっかけは何だったのでしょうか。ファンの間では「高校1年生のときの原点に戻るため」「尊敬する特別な選手がいたから」など様々な推測が飛び交いました。
2017年12月に行われたエンゼルスの入団記者会見で、大谷選手本人はユーモアを交えてその真相を語っています。当時、エンゼルスを象徴する主砲マイク・トラウト選手が「背番号27」をつけていたことを踏まえ、「本当は27番にしたかったのですが、埋まっていたので17番にしました」とジョークを飛ばし、満場の報道陣を笑わせました。
しかし、その後の球団関係者への取材や各種インタビューによると、提示された複数の空き番号の中から「17」を選んだ背景には、高校時代に初めて甲子園の空気を吸った1年生の夏の記憶と、自らの原点に立ち返って新たな挑戦をスタートさせるという強い決意が込められていたと伝えられています。日本ハム時代に背負った「11」は偉大な先輩の軌跡を追う番号でしたが、「17」はメジャーリーグという最高峰の舞台で『大谷翔平自身の歴史を一から創り上げる番号』となったのです。