異国情緒あふれる洋館や教会群が立ち並ぶ港町・函館。その函館山麓、通称「幸坂(さいわいざか)」の急勾配を上りきった船見町の高台に、約650年以上の歴史を紡ぐ古社が鎮座しています。それが、函館最古の神社として崇敬を集める山上大神宮(やまのうえだいじんぐう)です。
伊勢神宮の分霊を祀る由緒正しき神明宮でありながら、幕末の箱館戦争では旧幕府軍の要人・松平定敬の御座所となり、坂本龍馬の従兄弟である神職・澤辺琢磨が波乱の生涯を送るなど、日本近代史の激動を最前線で見届けてきた稀有な聖地でもあります。境内から一望する函館港のパノラマビューや荘厳な御朱印、参拝前に知っておくべきアクセス・駐車場事情まで、現地取材の知見と一次史料をもとに徹底解明します。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】- 要点1:応安年間(1368〜1375年)創建と伝わる「函館最古の神社」であり、伊勢神宮の御霊を勧請した格式高い神明宮。
- 要点2:箱館戦争時の桑名藩主・松平定敬の本陣となったほか、坂本龍馬の従兄弟・澤辺琢磨が神職を務めた激動の歴史舞台。
- 要点3:幸坂の頂に位置するため函館港の眺望は圧巻だが、急坂と狭路のため参拝時の移動手段(市電・タクシー・車)の事前確認が必須。
【由緒と歴史】応安年間から続く約650年の歩みと「函館最古の神社」たる所以
北海道神社庁および由緒書によると、山上大神宮の起源は室町時代初期の応安年間(1368〜1375年)にまで遡ります。当時、本州から蝦夷地へ渡来した修験者の藤坊(ふじぼう)が、亀田赤川村(現在の函館市郊外)の神明山に草庵を結び、伊勢神宮の分霊を祀ったことが創祀と伝えられています。
その後、江戸時代初期の明暦元年(1655年)に尻沢辺村(現在の住吉町付近)へ遷座して「箱館神明宮」と改称。天和2年(1682年)には弥生町へと再度遷座し、長きにわたり箱館の総鎮守的存在として庶民や北前船の商人たちから篤い信仰を集めました。明治時代の大火による被災を経て、現在の船見町15番1号の高台へと遷座し、現在に至ります。
主祭神には、日本神話の最高神である天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)と食物・産業を司る豊受大神(とようけのおおかみ)を主軸に、商売繁盛の神・倉稲魂神(うがのみたまのかみ)、美と安産の象徴である木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)の四柱が祀られています。国家安寧や家内安全、開運招福、商売繁盛、縁結び・安産祈願まで幅広いご利益を授かれるパワースポットとして親しまれています。
【激動の幕末】箱館戦争の本陣と坂本龍馬の従兄弟・澤辺琢磨の数奇な運命
山上大神宮を語る上で欠かせないのが、幕末から明治維新にかけての重厚な歴史的ドラマです。函館市史や現地記録によると、慶応4年(1868年)から明治2年(1869年)にかけて勃発した箱館戦争において、この神社は歴史の表舞台に立ち合いました。
榎本武揚率いる旧幕府脱走軍に身を投じた桑名藩主・松平定敬(まつだいらさだあき)は、箱館進軍時に山上大神宮を本陣(御座所)として使用しました。激戦の最中、将兵たちが武運を祈願し、函館の街と海を見下ろしながら戦略を練った舞台が、まさにこの境内でした。
さらに注目すべきは、第8代神職を務めた澤辺琢磨(さわべたくま)の存在です。土佐藩士であり、幕末の英雄・坂本龍馬の従兄弟にあたる人物でした。武術に秀でた澤辺は、箱館神明宮の宮司・澤辺家の婿養子となり神職を継ぎましたが、ロシア領事館付司祭・ニコライと運命的な対峙を果たします。当初は異教を排斥する目的で接近したものの、対話を重ねる中でキリスト教の教理に深く感銘を受け、のちに日本人初のハリストス正教会司祭へと転身を遂げました。境内に立つと、武士・神職・聖職者という激動の時代を駆け抜けた先人たちの息遣いが確かに感じられます。