群馬 県 県庁 所在地は前橋市か、それとも高崎市か——。地理の試験や雑談の場でしばしば話題にのぼるこの問いだが、正解は前橋市である。新幹線の巨大ターミナルを擁し、北関東屈指の経済都市として活況を呈する高崎市を差し置き、なぜ静穏な城下町の面影を残す前橋が行政の要衝となったのか。その裏には明治初期まで遡る熱い政治的駆け引きと、製糸業がもたらした富の歴史が深く根を下ろしている。
一般の旅行者や移住検討者が群馬 県 県庁 所在地の歴史的背景を調べると、二大都市が譲らなかった激烈なライバル関係の痕跡に突如遭遇することになる。明治維新の混乱期、県庁の設置場所は二転三転し、地域の自尊心と実利的な思惑が激しく交錯した。当時の知事が決断した歴史的真実から、高さを誇る庁舎の展望エリア、そして最新の都市再生プロジェクトに至るまで、その全貌を報道取材の視点から紐解く。
なぜ最大都市は高崎市?前橋市が県庁所在地となった歴史的裏側
群馬県における前橋と高崎の対立抗争は、明治維新直後の廃藩置県に端を発する。明治4(1871)年、最初に群馬県庁が置かれたのは高崎城跡であった。しかし、軍事上の要衝として陸軍兵営(兵営地)が置かれたことや、旧高崎藩士らの反乱を警戒した明治政府の意向により、わずか1年あまりで県庁は前橋城跡へと移転を余儀なくされる。この突然の移転が高崎市民の猛反発を招き、二大都市による凄まじい誘致合戦が幕を開けた。
前橋への県庁定着に決定的な役割を果たしたのが、初代群馬県令(現在の知事)に就任した揖取素彦(かとりもとき)だ。吉田松陰の義弟としても知られる揖取は、当時日本の基幹輸出品であった生の糸産業(製糸業)の発展に前橋が不可欠であると見抜いた。揖取は地元の有力豪商らを説得し、私財を投じて県庁舎の建設費やインフラ整備費を寄付させることで、実質的に前橋への県庁固定を決定づけたのだった。このドラマチックな動乱の歴史は、大河ドラマ「花燃ゆ」でも詳しく描かれ、現在でもNHKオンデマンドなどの動画配信プラットフォームで当時の熱気を感じ取ることができる。
高さ都道府県庁日本一!群馬県庁32階展望ホールと観光見どころ
前橋市の中心部にそびえ立つ現在の群馬県庁舎は、1999年に完成した地上33階・地下3階、高さ153.8メートルの超高層ビルだ。都道府県庁舎としては東京都庁(新宿区)に次ぐ高さを誇り、県庁本庁舎単体の建築物としては実質的に日本一の高層建築を誇る。その最大の魅力となっているのが、32階に位置する無料の展望ホールだ。
展望ホールからは、赤城山、榛名山、妙義山の上毛三山をはじめ、晴天時には遠く浅間山や関東平野を一望できる。夜間は360度の大パノラマ夜景が広がり、地元の市民だけでなく観光客の足が絶えない。近年では観光・インバウンド産業の強化に伴い、多言語対応の観光案内システムやフリーWi-Fi環境が完備された。庁舎内には地元の上州和牛や旬の野菜を味わえる高級レストランや洗練されたカフェも併設されており、行政手続きの枠を超えた広域観光の拠点として機能している。