ニュー ブリテン 島は、南太平洋の蒼碧な海に突如現れる三日月型の島だ。かつて太平洋戦争の激浪が押し寄せ、歴史の暗部に飲まれたこの地は、いまなお戦慄すべき戦争の記憶を静かに宿している。パプアニューギニアの東端に位置するこの火山島は、日米両軍が血で血を洗う過酷な激闘を繰り広げた、忘れえぬ戦域である。
噴煙を上げる火山群と底知れぬ密林が広がるニュー ブリテン 島の深部では、80年以上の歳月が流れた現在もなお、巨大地下要塞の全貌解明に向けた最新の調査が続けられている。近年実施された独占取材と電波探査により、これまで歴史の陰に隠されていた凄絶な戦場の真実が、次々と明かされつつある。
最新調査が暴くラバウル基地の知られざる史実と地下巨大要塞
南海の要塞都市として君臨したラバウル。その地下に張り巡らされた総延長数 nerve 500キロメートルにおよぶ大横穴群の全貌が、最新の地中レーダー探査と現地調査によってついに解き明かされつつある。かつて日本軍が火山灰の岩盤を掘り進めて築き上げたこの地下迷宮は、自給自足の兵站基地として機能し、連合軍の激しい空爆を完全に無効化していた。
米軍をはじめとする連合軍が、なぜラバウルへの直接着陸侵攻を諦め「飛び石戦略」へと転換せざるを得なかったのか。その理由は最新調査が明かす遺構の強固さにある。病院、弾薬庫、司令部までもが地中に完璧に秘匿されており、兵員は地上を埋め尽くす空爆の雨を跳ね返していた。封じ込められた要塞内で、兵士たちが何を思い、いかに生き延びたのか。発掘された日誌や新資料は、過酷極まる孤立無援の悲劇と、補給なき持久戦の凄惨な現実を静かに物語っている。
大日本帝国海軍の絶対防衛線:山本五十六が命を賭した拠点
太平洋戦争の初期、南太平洋における日本の運命を左右する最重要拠点となったのが、この地である。大日本帝国海軍は膨大な物資と精鋭部隊を投入し、南太平洋最強と称された航空基地と軍港を作り上げた。広大な航空基地からは連日のように零式艦上戦闘機が飛び立ち、南の空を制圧していた。
1943年、戦局の悪化に伴い作戦指導のため現場へ降り立ったのが連合艦隊司令長官・山本五十六だ。彼はラバウルから前線視察へと飛び立ち、その途上でブーゲンビル島上空にて撃墜され命を落とした。山本五十六にとって、この地は南太平洋防衛の「絶対の要」であり、命を賭して守ろうとした象徴的な防衛線だったのだ。