日暮里 匂い――山手線と京成本線が交錯し、毎日数十万人もの人々が行き交うこの巨大ターミナル街に足を踏み入れた瞬間、不意に鼻腔を刺激する独特の気配に気づいたことはないだろうか。改札付近の湿り気を含んだ風、北口の階段を下りた先で漂うどこか懐かしくも不可解な空気。下町らしい活気と近代的な都市機能がせめぎ合うこの地で、通り過ぎる人々が密かに首をかしげる「匂いの謎」が、近年ふたたび脚光を浴びている。
ネットの掲示板やSNSを覗いてみると、多くの来訪者が投稿する日暮里 匂いの目撃談ならぬ「臭気報告」が目につく。谷中銀座商店街へと続く夕やけだんだん周辺で感じる甘香ばしい惣菜の香気もあれば、駅底部の地下通路付近で漂う硫化水素にも似た湿地特有の臭気まで、その表情は極めて多様だ。はたして、この印象的な匂気の正体は一体どこから来ているのか。行政の調査データと現地での徹底取材から、これまで見落とされてきた実態に迫る。
駅周辺や谷中銀座に漂う「あの匂い」の正体と発生源:行政データと独自取材の全貌
日暮里の街を歩くと、場所によって全く異なる二つの「匂いの相貌」に出会う。ひとつは、日暮里駅の西側に広がる谷中エリアのノスタルジックな香りだ。夕暮れ時になると、商店街の精肉店から立ち上る揚げたてのメンチカツや焼き鳥の香ばしい煙、老舗煎餅店の醤油の香気が細い路地に充満する。これらは訪れる人々に強い旅情を与え、昭和の雰囲気を色濃く残す街の象徴として愛されてきた。
一方で、駅の東口や地下コンコース付近で報告されるのは、明らかに性質の異なる有機的な臭気である。地形的に見ると、日暮里駅は上野台地の崖線と荒川沖積低地の境目に位置しており、すり鉢状のくぼ地構造を形成している。雨が降った前後や気圧が低下するタイミングでは、気圧の変動に伴って下水管内部の空気が地上へと押し出されやすく、独特の湿った異臭が滞留しやすい構造になっていることが、行政の環境測定データからも裏付けられている。
東京都下水道局とJR東日本が立ち向かう排水インフラと臭気対策
この地下由来の異臭に対して、インフラ企業も手をこまねいていたわけではない。東京の地下には、雨水と汚水を同じ管で処理する旧式の「合流式下水道」が今なお多く残されている。東京都下水道局は、豪雨時に下水が河川へあふれ出るのを防ぐとともに、管内からの臭気拡散を抑える大型貯留池の整備や防臭弁の設置を推進してきた。
同時に、広大な駅構内とホーム群を抱えるJR東日本にとっても、駅空間の快適性向上は至上命令だ。山手線や京浜東北線が頻繁に行き来する線路下の排水設備は、日々膨大な水が流れる極めて複雑な構造をしている。同社が進める鉄道インフラ事業の一環として、ホーム下の排水溝の定期的な高圧洗浄や、特殊な微細気泡を用いた脱臭装置の導入など、目に見えない場所での地道なメンテナンスが昼夜を問わず続けられている。