山田 外 美 代――その名前を聞いて、黄色い帽子や色鮮やかな衣装に身を包んだ「万博おばさん」の弾けるような笑顔を思い浮かべる人は、日本国内にとどまらない。2005年の愛知万博(愛・地球博)で全185日間通い詰めるという異例の快挙を成し遂げて以来、彼女の足跡は上海、ミラノ、ドバイ、そして大盛況のうちに幕を閉じた2026年大阪・関西万博へと続いてきた。2026年を迎えた今、夢洲(ゆめしま)の人工島に漂う祭りの熱気と静寂の狭間で、彼女が積み重ねてきた歩みは単なる個人の趣味の枠を超え、地球規模での人と人との結びつきを証明する生きたドキュメンタリーとして語り継がれている。
開幕直後の混雑や連日の猛暑、国際情勢の波風など、数々の試練が万博を襲うたびにゲートの前で変わらぬ情熱を見せてきた山田 外 美 代だが、その行動力の源泉はいったいどこにあるのだろうか。現場で各国のパビリオンスタッフと笑顔で言葉を交わし、記念スタンプを丁寧に押してもらう一連の所作には、いかなる政治的打算も存在しない。国境や言語の壁を軽々と超えていく純粋な好奇心と温かな眼差しは、現地を訪れた世界中の人々にとって「最も身近な民間外交官」の姿として深く刻み込まれている。
愛知から夢洲へ:20年間に及ぶ「全通伝説」の軌跡
話は2005年の愛知万博にさかのぼる。地元・愛知県瀬戸市に暮らしていた一人の主婦が、開幕から閉幕までの185日間、一日も欠かさず会場へ通い通した。それがすべての始まりだった。
彼女の情熱は日本国内だけにとどまらなかった。2010年の上海万博では、現地にアパートを借り切って184日間の完全通破を達成。中国メディアから「万博奶奶(万博おばあちゃん)」と称賛され、現地で知らぬ者はいないほどの時の人となった。その後も2015年のミラノ、2017年のアスタナ、そして50度を超える灼熱のドバイ万博でも連日会場を駆け抜けた。20年にわたるその総訪問日数は、もはや追随を許さない前人未到の領域だ。
車いすで駆け抜けた大阪・関西万博、現場で起きていたリアルなドラマ
記憶に新しい2026年大阪・関西万博。70代後半を迎えていた彼女の姿は、巨大な木造大屋根リングの下にあった。膝の痛みや体調面での不安を抱え、時には車いすを押し合いながらも、開門とともに夢洲のゲートをくぐる姿が毎日目撃された。
会場内での彼女は、まさにアイドル以上の存在感を放っていた。アフリカや中南米、欧州のパビリオン前を通れば、現地の館長や若手スタッフが「サムライ・マダム!」と笑顔で駆け寄ってくる。来場者たちも彼女を見つけると列を作り、記念撮影を求めた。展示を見るだけでなく、そこに集う人間同士が心を通わせる瞬間にこそ、彼女の真骨頂があった。