プロ野球の第一線でマウンドを守り抜いた左腕が、ユニフォームを脱ぎ、水上の格闘技へと飛び込んでから数年。元埼玉西武ライオンズの投手・野田昇吾は今、ボートレーサーとして確かな足跡を刻んでいます。NPBでリーグ優勝に貢献し、侍ジャパンにも選出されたトップアスリートが、なぜ全くの異競技であるボートレースの世界へ身を投じたのか、その決断は当時大きな衝撃を与えました。
2026年現在、佐賀支部のレーサーとして水面を駆ける野田昇吾。過酷な養成所生活を経て掴み取ったレーサーとしての現在地、妻である人気声優・佳村はるかとの温かな私生活、そして気になる成績や推定年収まで、その波乱万丈な挑戦の全貌に迫ります。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】- 要点1:西武ライオンズ退団後、15kg以上の壮絶な減量を経てボートレーサー養成所(131期)を修了し佐賀支部へ配属。
- 要点2:2026年7月のプロ初勝利(水神祭)以降、着実に勝率を伸ばしてB1級へ昇格、現在はA級入りを見据えて奮闘中。
- 要点3:妻・佳村はるかと愛息の支えを力に変え、異例のセカンドキャリアを成功へと導くプロ魂を発揮している。
【西武ライオンズ退団の真相】侍ジャパン左腕が戦力外通告を受けた理由と決断
野田昇吾のプロ野球経歴は輝かしいものでした。鹿児島実業高校から西濃運輸を経て、2015年ドラフト3位で埼玉西武ライオンズに入団。キレ味鋭いスライダーと強気のピッチングを武器に中継ぎ左腕として台頭し、2017年には野球日本代表「侍ジャパン」のトップチームに選出されました。さらに2018年にはシーズン58試合に登板してライオンズのパ・リーグ制覇に大きく貢献するなど、ブルペンに欠かせない主力として君臨していました。
しかし、過酷な連投や勤続疲労、フォームの狂いが徐々に左腕を蝕みます。2019年以降は登板機会が激減し、一軍での防御率も悪化。2026年シーズン終了後、球団から戦力外通告を言い渡されました。当時27歳という若さでの退団勧告でした。12球団合同トライアウトに参加し、他球団での現役続行を模索したものの、NPB球団からの支配下オファーは届きませんでした。
独立リーグや海外挑戦という選択肢もありましたが、野田昇吾の決断は「プロ野球選手としての幕引き」でした。不完全燃焼のまま終わるのではなく、自身の中に眠るアスリートとしての闘志を、完全に新たなステージで燃え尽くす道を選んだ瞬間でした。
【異例のボート転身】15kg減量の地獄を見た養成所経緯と師匠・峰竜太との出会い
野球界を去った野田昇吾が選んだのが、公営競技「ボートレース」への転向でした。小柄ながら強靭な体幹と卓越した動体視力を持つ彼にとって、ボートレースは以前から関心を寄せていた舞台でした。しかし、その門戸は極めて狭く、倍率数十倍を誇る福岡県柳川市のボートレーサー養成所(旧やまと学校)の試験を突破しなければなりません。
最大の壁となったのが「体重制限」でした。プロ野球時代の体重は約70kg。ボートレーサーとして戦うためには、最低体重基準である51kg〜52kg前後まで落とす必要がありました。過酷な食事制限と有酸素運動を課し、短期間で約15kg以上の減量に成功。第131期選手養成員として合格を果たしました。
養成所での生活は、外部との連絡を断ち、礼儀作法や操縦技術、エンジン整備を徹底的に叩き込まれる過酷な日々でした。年下の訓練生たちと寝食を共にし、プライドを捨てて一から技術を吸収。2026年秋、無事に卒業証書を手にし、日本モーターボート競走会 佐賀支部への配属が決まりました。
プロデビュー後、彼を指導する師匠となったのが、ボート界のスーパースターである峰竜太選手です。「勝てるメンタルと妥協なきターン技術」をトップレーサーから直接伝授されたことは、野田昇吾の成長スピードを劇的に加速させる契機となりました。