かつてジャニーズJr.屈指の人気を誇り、圧倒的なビジュアルと確かなパフォーマンス力でファンを魅了し続けた阿部顕嵐(あらん)。「Travis Japan」の初期メンバーとしての活躍や「Love-tune」での熱狂的なムーブメントを経て、2018年にジャニーズ事務所(現SMILE-UP.)を退所した彼の決断は、当時のエンタメ界に大きな衝撃を与えました。
退所から年月が経過した2026年現在、彼はボーダーレスな活躍を見せるアーティストグループ「7ORDER」の活動のみならず、実力派俳優として舞台や映像作品で唯一無二の存在感を放っています。なぜ彼は人気絶頂の中でグループを離れ、事務所を去る決断を下したのか。その知られざる真相からジャニーズ時代の足跡、そして現在の最新活動までを丹念に紐解きます。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】- 要点1:Travis Japan結成メンバーからLove-tune専任への移籍、そして2018年の事務所退所に至る決定的背景を徹底解説。
- 要点2:ジャニーズJr.時代の華々しい経歴(同期・主演ドラマ)や、退所を決断させた表現へのこだわりと真相。
- 要点3:7ORDERの活動から舞台・ドラマ主演、2026年最新のソロ活動や公式SNS情報までを完全網羅。
【プロフィールと入所日】阿部顕嵐のジャニーズJr.時代と豪華な同期たち
阿部顕嵐(あべ あらん)は1997年8月30日生まれ、東京都出身。一度見たら忘れられない華やかな顔立ちとクールな佇まい、そして舞台上で見せる情熱的なパフォーマンスのギャップで、Jr.時代から常にトップクラスの支持を集めていました。
ジャニーズ事務所への入所日は2010年10月23日。この時期の入所組には、後に多方面でトップアイドルとして開花する錚々たる顔ぶれが揃っています。
同期や同世代の仲間には、神宮寺勇太(Number_i)、宮近海斗(Travis Japan)、中村嶺亜(7 MEN 侍)、松倉海斗(Travis Japan)、そして同時期に切磋琢磨した目黒蓮(Snow Man)や佐藤勝利(timelesz)らが名を連ねます。黄金世代とも呼べるハイレベルな環境の中で、阿部顕嵐は早くからダンススキルと表現力を磨き上げ、事務所内でも特別な存在感を確立していきました。
【Travis Japan脱退の真相】兼任からLove-tune専任へ至った決断の背景
阿部顕嵐のキャリアを語る上で欠かせないのが、2つの伝説的ユニットでの活動です。2012年、マイケル・ジャクソンの振付師であるトラヴィス・ペイン氏によるオーディションを経て、Travis Japan(弟組)の結成メンバーに抜擢。青山劇場での舞台『PLAYZONE』などで圧倒的なシンクロダンスを叩き込まれました。
転機が訪れたのは2016年。バンドとダンスを融合させた新機軸ユニットLove-tuneが結成され、阿部顕嵐は森田美勇人と共に両グループを兼任する異例の体制となります。しかし、2016年10月、舞台『ABC座2016 株式会社応援屋!!〜OH&YEAH!!〜』への出演を機に、阿部顕嵐はTravis Japanを脱退し、Love-tune専任となる道を選びました。
この脱退劇の背景には、身体的・スケジュール的な過密問題に加え、彼自身が目指すエンターテインメントの方向性がありました。シンクロダンスを極めるTravis Japanに対し、Love-tuneは生バンド演奏とアグレッシブなボーカルを武器にするセルフプロデュース集団。阿部顕嵐が抱いていた「自分たち発信のロックとエンターテインメントの融合」というヴィジョンが、Love-tuneの音楽性に強く共鳴した結果の発展的選択だったのです。