大相撲の土俵において、力士の熱戦を裁き、格式ある伝統儀礼を司る行司。最高峰の立行司である木村庄之助や式守伊之助を筆頭に、行司界には数々の由緒ある名跡が存在します。その中でも、昭和から平成の土俵を彩り、三役格行司や立行司への登竜門としても重きをなしてきた名跡が「式守伊三郎(しきもり いさぶろう)」です。
名門・春日野部屋や出羽海一門の屋台骨を支え、数々の名勝負に立ち会ってきたこの名跡ですが、現在はどのような状況にあり、歴代の行司たちはどのような足跡を残してきたのでしょうか。歴史の変遷から知られざる逸話、そして名跡の今に迫ります。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】- 要点1:「式守伊三郎」は大相撲行司界における伝統屈指の名跡であり、歴代保持者の多くが三役格や立行司へと昇進した名門の系譜を持つ。
- 要点2:春日野部屋の重鎮として土俵を引き締めた10代・11代をはじめ、鋭い軍配裁きと重厚な掛け声で角界から絶大な評判を得ていた。
- 要点3:11代の停年(定年)退職以降は空位が続いているものの、行司の世代交代が進む現代において再襲名への期待が高まっている。
【名跡の歴史】大相撲における「式守伊三郎」の由緒と行司界での位置づけ
大相撲の行司は、大きく分けると「木村家」と「式守家」の2流に分かれます。軍配の握り方(木村家は掌を上に向け、式守家は掌を下に向ける)や装束の所作に違いがある中、式守家の有力な名跡として代々受け継がれてきたのが式守伊三郎です。
行司の階級組織は厳格で、序ノ口格からスタートし、序二段格、三段目格、幕下格、十両格、幕内格、三役格、そして最高位の立行司へと昇進していきます。式守伊三郎の名跡は、主に幕内格から三役格の上位行司が襲名する格式高い名として機能してきました。土俵上での正確無比な軍配裁きはもちろんのこと、土俵祭りの差配や番付編成に関わる書道(相撲字)の技術など、行司としての総合力が極めて高い実力者のみに許された名跡です。
【歴代の足跡】昭和・平成を支えた名行司たちと華麗なる襲名の系譜
式守伊三郎の歴史を紐解くと、昭和の相撲黄金期を支えた伝説的な行司たちが名を連ねています。歴代の襲名者は単に土俵を裁くだけにとどまらず、角界の規律や伝統の継承者として大きな存在感を放ちました。
近代相撲において特に名高いのが10代式守伊三郎(のちの26代式守伊之助、27代木村庄之助)です。栃若時代から昭和40年代にかけて活躍し、その端正な立ち姿と明快な呼び上げ、正確な土俵裁きで「行司の鑑」と称されました。伊三郎の名を名乗っていた時期にも数々の大一番を裁き、三役格行司としての名声を確固たるものにしています。
続いて名跡を継承した11代式守伊三郎(本名:永井良男)も、昭和後期から平成初期にかけて長く土俵を支えた名行司です。昭和30年代に初土俵を踏み、着実に昇進を重ねて1980年代後半に11代伊三郎を襲名。三役格行司として横綱・大関陣の白熱した取組を数多く裁き、2000年代初頭に日本相撲協会の定年(65歳)を迎えて停年退職するまで、土俵の風格を守り続けました。