震災と豪雨を越えて|白米千枚田の現在と復興の歩みを徹底取材

震災と豪雨を越えて|白米千枚田の現在と復興の歩みを徹底取材

日本海に面した急斜面に無数の小さな水田が幾重にも重なり、四季折々の美しい表情を見せる石川県輪島市の名所「白米千枚田」。日本の原風景とも称され、2011年には日本で初めて「世界農業遺産(能登の里山里海)」に認定されたこの棚田は、いま大きな歴史の転換点に立っています。

2026年1月に発生した能登半島地震、そして同年9月の奥能登豪雨という二重の激甚災害に見舞われた現場は、2026年を迎えた現在どこまで復興が進んでいるのでしょうか。絶望的な亀裂や土砂崩れから立ち上がり、再び青々とした稲穂を揺らすまでの歩み、見学の再開状況や支援の輪について、現地の最新動向を詳しくレポートします。

📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
  • 要点1:能登半島地震と豪雨で約8割の田が被災したものの、懸命な復旧工事とボランティアの力で段階的な営農・見学再開が実現。
  • 要点2:象徴である「オーナー制度」や冬の風物詩「あぜのきらめき」も工夫を凝らして継続・復活し、能登復興のシンボルとして輝きを放つ。
  • 要点3:道の駅「千枚田ポケットパーク」周辺のアクセスは改善が進むが、現地を訪れる際は最新の交通・安全情報の確認とマナー順守が不可欠。

【2026年最新】白米千枚田の被害状況と現在までの復興タイムライン

日本海へと切れ落ちる斜面に1,004枚の幾何学的な水田が広がる輪島市白米町の白米千枚田。この景勝地を襲った2026年の能登半島地震では、大規模な地滑りや地割れ、のり面の崩落が発生しました。さらに追い打ちをかけたのが同秋の記録的豪雨です。土砂の流入や水路の寸断により、一時は全体の約8割にあたる田が耕作不能となる甚大な被害を受けました。

当時の報道写真に写し出された無残に引き裂かれた畔(あぜ)や堆積した泥は、全国に大きな衝撃を与えました。重機が容易に入れない狭小な棚田という地形的制約もあり、一時は「原形復旧は不可能ではないか」と危ぶむ声さえ上がったほどです。

しかし、地元農家で構成される「白米千枚田愛耕会」をはじめ、全国から駆けつけた復興ボランティア、土木技術者たちが結束。2026年秋の試験的な一部保全作業から、2026年の本格的な畦畔修復・導水管再敷設を経て、2026年の現在では景観の根幹を成す斜面の安定化と主要区画の再生が着実に進んでいます。

田植え再開の真相と「世界農業遺産」を守る愛耕会の闘い

白米千枚田の復興において最も多くの関心を集めたのが、「再び米作りができるのか」という営農再開の問題でした。機械化が困難な千枚田では、水を引き込み、土を捏ね、手作業で苗を植える伝統農法そのものが「世界農業遺産 能登の里山里海」を構成する重要な文化的価値だからです。

震災初年度の2026年春には、被害を免れたわずかな区画で「希望の灯を絶やさない」との思いから象徴的な手植えが行われました。その後、山側からの水源確保工事や伝統的な石積み・泥塗りのあぜ塗り作業が段階的に進展。現在では、被災面積の半分を超えるエリアで実質的な作付け・栽培管理が行われるまでに息を吹き返しています。

愛耕会のメンバーは「形だけの観光地ではなく、生きた農地として次世代へ引き継ぐことこそが真の復興」と語ります。一枚わずか数平方メートルという極小の田んぼ一枚一枚に水を張る作業は、気の遠くなるような労力を要しますが、泥にまみれながら鍬を振るう人々の熱意が、奇跡的なスピードでの景観再生を後押ししています。

中村 さくら
Penulis

中村 さくら

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。