さんま 日航 機を巡る運命の交差点は、40年以上の歳月が流れた今なお、多くの人々の心に強烈な爪痕を残している。1985年8月12日、520名もの尊い命が失われた日本航空123便墜落事故。日本の航空史上最悪の大惨事の陰で、ひとりの芸能人が間一髪のところで難を逃れていた。お笑い界の頂点に君臨し続ける明石家さんまである。
当時、伝説的なお番組の収録を終えたさんま 日航 機搭乗予定のキャンセル劇には、テレビ局の現場で発生した偶然の判断が深く関わっていた。本来乗るはずだった夕方の便を見送り、予定を早めて移動したことで命拾いをした事実は、単なる強運の一言では片付けられない不条理なドラマを秘めている。
フジテレビ『オレたちひょうきん族』収録現場で起きた偶然のドラマ
あの日、都内のスタジオは独特の熱気に包まれていた。フジテレビの看板番組『オレたちひょうきん族』の収録現場である。過密スケジュールを極めていた明石家さんまは、番組収録終了後に羽田空港へ向かい、伊丹行きの日本航空123便に搭乗する予定を組んでいた。
しかし、現場の進行が思いのほか早く進む。スタッフの手際よい進行により、予定よりもかなり早い段階で「押す」はずの収録が「巻き」で終了したのだ。時間が空いたことで、さんまは予定していた便をキャンセルし、一本前の便、あるいは新幹線への切り替えを選択する。この何気ない数十分のスケジュールの前倒しこそが、生死を分ける運命の分岐点となった。
明石家さんまが日航機墜落事故を奇跡的に免れた真実と「生きてるだけで丸儲け」の秘話
日本航空123便墜落事故の報が日本中を駆け巡った時、衝撃を受けたのは視聴者だけではない。当事者となり得たさんま自身、自らが乗るはずだった機体が御巣鷹の尾根に消えた事実を知り、言葉を失ったという。もし番組の尺が少しでも伸びていたら。NGが一度でも多く出していたら。その仮定はあまりにも重い。
事故後、彼の死生観は決定的な変容を遂げる。座右の銘として知られる「生きてるだけで丸儲け」という言葉。そして長女に授けた「いまる(IMALU)」という名前。これらは単なる楽観主義の標榜ではない。自分だけが生き残ってしまったという圧倒的な不条理、そして「生かされた命」に対する背負いきれないほどの感謝と祈りが込められているのだ。笑いを届け続けることへの執念は、この日を境に神聖な使命へと昇華した。